2012年9月3日月曜日

破棄情報

例えば、見ている筈なのに、見ていない、

もしくは記憶に残らないモノはあると思います。


例えば、本屋さんで、目的の本を探す時、

タイトルを思いながら、背表紙を次から次へとサーと眺めます。


サーと眺めている時、一瞬で「これは目的のタイトルじゃない」と判断して次へ移ります。


通りすぎているのですから、見ている筈です。

しかし、記憶にも残らず、そもそも一瞬でもその違うタイトルを認識していません。

「これは違う」とは認識すると思いますが、

「これは【●●●】というタイトルなので、違う」とまでは認識しません。


つまりヒトは、「必要でないモノはできるだけ認識しないでおこう」という傾向があるのではないでしょうか?


とすると、

子供の時は、視えて、聞こえて、感じていたものが、

大人になるにつれ、

無意識の内に、

「あっ。これは今後、生きるにあたって必要ない情報なんだ」と認識され、

処理されて、

それまで視えていた、聞こえていた、感じていたモノを意識に移動させないで、

破棄するようになってしまうのではないでしょうか?



感覚器に障害を負って、その後、能力に目覚めたというヒトが結構多いですが、

失ってしまったセンサーを補う為に、

他のセンサー、もしくは損傷を負ったセンサーの残りの機能をフルに使おうという方向に働き、

幼少の頃には感じていたが、大人になった今では「破棄していた情報」も集めようとして、
能力が「戻る」のではないでしょうか?












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