2008年10月21日火曜日

「明日を知る者」

家を出る時に何気なくカレンダーを見ると、明日の日付が赤丸で囲まれていた。
明日は何か重要な予定があったかな?
先週、仲間が何人か来た時に、勝手に〇を付けたのかな?
駅に到着するまで何とか思い出そうとしたが、いつものすし詰め状態の電車に乗り込む頃には、そんなことはすっかり忘れていた。
 
会社に到着し、さあ仕事だと思った時に我が社のアイドル、辻本さんが声をかけてきた。
「村上課長、おはようございます」
「やあ、おはよう」そう言って机に向き直ると、彼女が立ち去る気配がない。
「何か用?」振り返ってそう言うと、辻本さんはもじもじと体をくねらせ、言いにくそうに言った。
「明日のことなんですけど・・・」彼女は語尾を濁らせた。
「え?明日?あしたって何かあった?」私がそう言うと、彼女は、はっと表情をこわばらせ、次の瞬間くるりと背を向けて走り去ってしまった。
私があっけに取られていると、彼女はそのまま廊下に出て、バタンとドアを閉める大きな音を事務所に響かせた。その音で事務所にいた社員全員が一瞬ドアの方を見たが、次の瞬間、私を睨んだ。
な、何なんだ?何で私が攻められるのだ?社員の鋭い視線が痛い。
仕方ないので、私は「つ、辻本さん、どうしちゃったんだろう」とひとりごとを言ってへらへらと力なく笑った。
何か彼女と約束していたかな?もし、彼女と約束事をしていたらな、忘れる筈がない。では一体何だったんだろう。

私はシステム手帳を取り出して明日の予定を確認した。
明日の部分には予定は書いていない。私は念の為ノートパソコンを立ち上げて、予定を確認した。基本的に予定は手帳に書くが、ノートパソコンに入れていないとも限らない。しかし、やはり明日の予定は特にない。
しかし、家のカレンダーにも赤マルがついていたと言うことは、何か重要な予定があったに違いない。私は一番近くの席に座っている木村に声をかけた。
「木村くん。明日のことなんだが・・・」
「あ、はい。明日は精一杯応援させて頂きます」応援?何のことだかさっぱり分らない。
彼は続けて言った。「しかし、課長も大変ですね」何が大変だと言うのだろう。
「その明日のことなんだが、明日って何があるの?」そう私が言ったとたん、木村はサッと顔色を変え、ガタリと椅子ごと後ずさりした。
私は慌てて付け加えた。「ちょ、ちょっと、ど忘れしちゃってね」 
彼は小刻みに震えだし、口をパクパクと開閉させた。
「い、いえ、あ、あ、明日は、あすは、あす、あす、あす、あすは何もありません」彼はそう言うと、いきなり椅子を後ろに飛ばしながら立ち上がり、鞄をつかむと、「い、いってきます」と大声で宣言し、椅子や机や他の社員にぶつかりながら、慌てて事務所の出口に向かった。
営業社員が外出して悪いことはないが、一体あの慌てぶりは何なんだ?
彼は手前に引かなければ開かないドアを押して開こうとしてドアに激突し、閉め忘れた鞄の中身をその辺に飛び散らせ、落ちた書類を団子状にわしづかみして、出て行ってしまった。

これはただ事ではないぞ。
明日一体何があると言うのだ?どうやら、私が明日の行事の主役らしい。そして、それは誰かとの約束とかいったプライベートで個人的なものでなく、会社のほとんどの者が知っていることらしい。しかし、全く私に心当たりはない。
私は、まだ社内に残っている3,4人の営業社員に質問してみようと思い、そちらに目を向けた。残っている営業社員全員が私を見ていた。目が合った。次の瞬間、その営業社員全員が同時に立ち上がった。
「い、いってきます」彼らは口々にそう言うと、われ先に事務所を出て行った。
私は呆然とそれを眺めるしかなかった。
我に返った私は事務所に残っている総務社員や事務系社員のいる一角に目を向けた。それまで私を凝視していた全員が、急に机に視線を落とし、せわしなく仕事を始めた。私は意を決して、スクリと立ち上がった。そして、ゆっくりと事務系の一角に歩きだした。
彼ら彼女らは取って付けたように仕事をしている振りをしていた。誰も私のほうを見なかった。
しかし、その注意と意識は私に集中しているは痛いほど分った。そして、只ならぬ気配と緊張がこの一角を支配した。
私は一番近い位置にいた森下の後ろに立った。森下は気配でそれを知ったらしく、「い、忙しいな~。ほ、本当に忙しい」と私に聞こえるようにひとりごとを言った。分厚い書類を恐ろしく早いスピードでめくっている。
私は森下の隣に座っている女子社員緑川の後ろに歩を進ませた。緑川は小刻みに震えており、キーボードに置かれた手は信じられない速さで動いていた。
緑川のパソコン画面を見ると、「わたしはてがはなせないわたしはてがはなせないわたしはてがはなせない・・・」と打ち込まれていた。
私が彼女の隣の席に移動しようとした瞬間、緊張に耐え切れなくなった向かい側に座っている吉川がスクリと立ち上がった。そして言った。
「そ、そうだ!ぎ、銀行に行かなくては!」それが合図のように、他の社員も口々にこの場を離れる言い訳を宣言した。
「しまった!忘れていた。集金にいかなくては」
「しゃ、社長室の掃除がまだだわ」
「お、お茶を沸かさなければ!」社員は次々に部屋を出て行った。残ったのは、森下と緑川だけであった。
緑川は相変わらす同じ文字を打ち続けていた。
私は刺激しないように小さな声でゆっくりと話しだした。
「みどりかわさん・・・」そこまで言ったところで、彼女はひっ、と叫んで、彼女自身の手がキーボードを前に飛ばしてしまった。
私は更にゆっくりとした声で話した。「あのね。あすのことなんだが・・・」私が言い終わらぬ内に、彼女は、「お、オシッコ漏れる!」と叫んで事務所を飛び出してしまった。
私は森下に向き直り聞いた。「あすのことなんだが・・・」森下もさきほどと同じように書類をめくりながら、固まっていた。
「あすは一体なにが・・・」私がそこまで言うと、彼は突然わめき出した。
「あった!これだこれだ良かった良かった見つかってよかったよかったもうみつからないと思ったのだが本当によかったやはり探してよかったこんなところにあるとはおしゃかさまでもしらぬほとけのおとみさん・・・」
彼の世代が知っているとは思えない古い歌の歌詞を混ぜながら、私に話す間を与えないように息継ぎをしないで彼はひとりごとをまくしたてた。そしてそのまま、部屋を出て行った。

私は事務所を抜け出して辻本さんを探しに出た。彼女の態度だけが他の社員と少し違っていた。
辻本さんが明日の謎を解くキーだと私は思ったのだ。
階下のシュールームに入ると、受付の女子社員が電話を受けていた。
彼女は私に気づいていない様子で、大きな声で話していた。
「そうなの?今、事務所には課長しかいないのね・・・」
そこまで電話で話すと彼女も私に気づき、こちらに目を向けた。
彼女は私を認識すると、体が硬直して受話器を落としてしまった。
私はゆっくりと彼女に近づいた。彼女は我に返ると屈んで受話器を取り上げ、猛烈な勢いで電話をプッシュした。
「あーもしもし○○商事様ですねいつもお世話になっております今回例の商品がシュールームのほうに入荷しましたので一度ご来店いただきましたら、え、担当ではないので担当に変わる?いえそんなわざわざ担当の方ではなくても入荷したことをお伝えしたかっただけなので、え、待ってくれって、いえこちらは待てないのですだから今誰でもいいのであってあのちょっと待ってください私をひとりにしないでくださいだから商品の在庫が先方の・・・・・・・・・・・・・・・」
彼女は無茶苦茶なことを取引先にしゃべり続けた。

私はシュールームを出た。
倉庫にも回ったが、そこの社員も他の社員と似たりよったりだった。
そして、そこでも辻本さんを見つけることはできなかった。もしかするとトイレかな?と思い、女子トイレの前でうろうろしていると、同期でいつもなら営業所の方にいる田中が声をかけてきた。
彼は一週間に一回ぐらいは本社に顔を出す。
「おい、村上、そんなところで何してんだ?」変なところを見られたので私は少しどぎまぎした。
「い、いや、ちょっとね」私の態度が変だったのだろう。彼は少し怪訝な顔をした。そして、言った。
「そんなことで、明日は大丈夫なのか?」
「あ、明日?お、おまえ、今、明日と言ったな!」
「言ったけど、それがどうかしたのか?」
「おまえは今、明日と言ったぞ」
「だからそう言ったと言っているだろう」
「明日には何があるんだ!」
「お、おまえ・・・」彼はそこまで言って絶句した。
「たのむ。教えてくれ。明日は一体何があるんだ!」
「そ、それは・・・」
「知らんとは言わせんぞ。今、おまえから明日は大丈夫なんだろうな、と言ったんだからな」
「そ、それは・・・」私は田中の胸倉を掴み迫った。
「だから、明日は何なんだ」
「明日は・・・」
「明日は?」
彼は突然大声でギョエーと叫んで、私が一瞬ひるんだ隙に、一目散に出口に走りだした。
私が彼の後を追って外に出ると、彼はまるでスポーツ選手のようにダッシュして全速力で走り去るところであった。

私は事務所に戻った。誰もいなかった。
予定表のホワイトボードを見ると、朝、私が見たときは何も書いていなかったのに今は隙間なく書き込みがあった。
「社長、今日は出社しません」
「○○部長、今日は出社しません」
「○○部長、今日は出社しません」・・・・・・・・・・・・・・・。

私は会社を出た。家に帰るつもりだった。こんな状態で仕事ができるか!
しかし、明日は一体何があるというのだろう?
帰る途中で今日は出社しないと書かれていた部長の携帯電話に電話を入れた。出なかった。たぶん、着信表示で相手が私であると分ったので、出ないのであろう。
着信表示を無効にして社長に電話した。
出た。
「はい」
「もしもし村上ですが」電話の向こうで息を呑む気配がした。
ひと呼吸おいてから社長は言った。
「あ、えーと、ちょっと、電波悪いみたいですね」
私は大きな声で言った。
「村上ですが」
「あー。すいません。全然聞こえません。この辺、電波、悪いみたいです」
電話を切る音が聞こえた。
私は携帯電話を地面に叩きつけた。
そのまま携帯電話を踏みつけた。私は周囲の目を気にせず、ガンガンと携帯電話を踏みつけ粉々に壊した。それでも私は踏み続けた。
「どうかしたの?」そう声をかけられ振り返ると、見知らぬ子供が不思議そうに眺めていた。
「どうかしたんだよ」私はテキトウに答えた。
「そんなコト、しちゃあ、いけないのに」子供はそう言った。
で、俺はつい、言ってしまった。
「明日、何が起こるか分からないんだよ」
「そんなこと誰もわかる訳ないじゃん。そんなことイチイチ気にしてられないよ。明日のことは明日考えればいいんだ」
私は子供を見つめた。子供も私を見つめていた。
「そうだよな。その通りだ」
私はその場を離れた。
家に帰るまでに携帯電話ショップによって新たな電話を買った。
勿論、番号はそのまま。
私は家に帰ると、シャワーを浴びて、昼間から布団に入った。
勿論眠れる訳はない。
私は子供の言葉を思い出していた。
「そんなこと誰もわかる訳ないじゃん」
全くその通りである。
「明日のことは明日考えればいいだ」
私はその言葉を繰り返しながら、眠りに落ちた。

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「奇妙な話」第二段「明日を知らない私へ」

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